カルロス・トシキ→岡村靖幸→尾崎豊⑩

私は部署が異動になり

不倫相手とは顔を合わせることすら

少なくなりました。


役員室には女性秘書 男性秘書がいます。

女性秘書は私を含めて三人。

私は秘書の見習いをしながら

総務の人事関係の仕事をしていました。

女性秘書は社内での

役員の身の回りの雑務をこなし

あとは人事関係の仕事に従事します。


役員関係の 外での仕事は

男性秘書と運転手に任せます。


会社は同じでも部署が変われば

別世界でした。


女性秘書というのは社内を歩いていると

知らない社員からも

やたらと笑顔で話しかけられます。

それは親切にされているのではないのです。


皆 知りたい情報があり

そしてそれは

トップシークレットな事項だったり

するものだから

あわよくば 女性秘書からポロッと

引き出そうとしているのです。

そして当然のことながら

ターゲットにされるのは

まだ仕事の要領を得ていないであろう私。


上司も 先輩秘書も

そんなことは百も承知なので

私に社内をひとりで歩かせたりは

極力しませんでした。

仕事中たまに化粧室へ行くことがあり

その時だけでした。


お昼 社員食堂へは

先輩秘書と三人で行き

三人で食事をし

終わると 三人で化粧室に行き

三人並んで歯を磨き

化粧を直し

仕事に戻ります。


来客があると私は

給湯室でお茶を入れようと

席を立つのだけど

先輩はいつも

「あなたは今

仕事を覚えることが優先だから

来客のお茶は私が淹れるから。」

と言いました。


不倫相手とたまに社内で出会うことが

ありました。

けれど私は両脇を

先輩女性秘書にガードされている状態で

彼は私に接触することができず

すれ違いざまの彼の顔は

明らかに不機嫌でした。


だいぶ仕事になれた頃

来客のお茶を淹れに

ひとりで給湯室に行ったり

他の部署に書類を届けにひとりで行くことが

増えてきました。

ある時 私が書類を届けに行った帰り

私がもと居た部署の人に出くわし

話しかけられて

ほんの少し立ち話をしました。

他愛もない話でした。

そこを化粧室に行こうとした

先輩秘書が通りかかりました。

席に戻った私は

直ちに先程の先輩秘書に

応接室に連れて行かれました。

そして

さっきは何を話していたのか?

何か聞かれたのか?

と事細かに聞かれました。

全ては課長に報告しているようでした。


私以外の 女性秘書二人は

入社した時から 役員室勤務でした。

私は他の部署から来た人間だから

特に注意されていたのだと思います。

そもそも役員室に

他の部署から異動で来るなんて

異例でした。

私の上司も 先輩秘書も

私じゃなくて新入社員に

来て欲しかったと思います。

けれど私の異動は

常務の命令だったことは明らかで

仕方がなかったのです。


私は息がつまりそうでした。


私は不倫している彼と

たまに仕事が終わってから会っていました。

けれど 同じ部署にいた頃とは違って

社内の誰かに見られたら面倒です。

会社から遠く離れた場所で会うようになり

それは 私達を

とても疲れさせていきました。

自然と 会う回数は減っていき

彼は私の写真を一枚くれないか と

言いました。

会えないときに見たいんだ と

言いました。

不倫の関係で

相手の写真を持つことは よくないからと

私は断りました。

彼は異常に腹を立てました。

彼は嫉妬深い人でした。

それは 彼は既婚で

私は独身だったからかも知れません。

写真のことで異常に腹を立てるのには

理由がありました。


私は土日は彼に会えなくて

さみしいと思っていました。

奥さんと幼い子供達と

楽しく過ごしているんだと思うと

切なかったのです。

けれど彼は

後で彼から聞いて知ったのですが

家族といても 私が何をしているのか

気になって仕方がなかったようです。

独身なんだから

男性がいくらでも寄ってきて

私は楽しく遊び回っているのではないかと

考えていたようです。

そして私が彼に会わない時に

ひとりで飲みに行っているパブに

自分を連れて行けと言いました。

そこのマスターと私の仲を

疑っていたのです。

その店は もともと

私が営業部にいたときに

営業部の先輩女子が

連れて行ってくれたところで

マスターは私の父と同い年でした。


私は 今の不倫の彼の前に 好きだった人と

別れた頃 その店にひとりで行っては

随分荒れた飲み方をしていました。


ある日 また飲み過ぎて

吐きたいのに吐けなくて

苦しんでる私の口に

マスターは「ごめんね。」と

指を入れて吐かせてくれました。

嘔吐物で汚れた私の髪を

洗面台で洗い

私が気分がよくなるまで

長椅子で寝かせてくれました。

帰るときは

外に出てタクシーを拾ってくれました。

私が家に着いて自室にいると

電話が鳴りました。

マスターからで

私が無事に帰ったかの確認の電話でした。

その一件以来

私とマスターは打ち解けました。

子供のいないマスターは

私を娘だと言って可愛がってくれました。


彼があまりに疑うものだから

仕方がなく

私は彼をパブに連れて行きました。

マスターに会えば

疑いは晴れるだろうと。


私は忘れていたけれど

その店には

私の写真が飾ってありました。

彼は見つけてすごく不機嫌になりました。


もともとは

そのパブで知り合って

後に結婚したカップルの写真を

飾っていました。

そこに

お忍びで来店された中山美穂さんの写真とか

マスターの奥様の若い頃の写真とか

いくつか飾ってあり

ある日マスターが

「べっぴんさん!

写真ちょうだい、娘なんだから。」

というので 私も軽い気持ちで

渡した写真でした。


しまった…と思ったけど遅くて

疑いを晴らすために連れて来たのに

ますます彼は

私とマスターの仲を疑いました。


そして写真を渡すのを断った時に

真っ先に彼は言いました。

マスターにはあげて

俺にはくれないのか と。

嫉妬に狂うと

手がつけられない人でした。

絶対失くさない 人に見せない

と約束して 写真を一枚渡しました。

彼は書類や本でパンパンの

ビジネスバッグに写真を収めました。


なかなか会えない私たちは

休みの日に会うようになりました。

一泊で旅行に行くようにもなりました。

彼は奥さんに

ゴルフだと嘘をついていました。

一度は純愛のように思えた

彼との関係も

ふしだらで 図々しいこと 極まりない

汚いこと この上ない

不倫以外の なにものでもないもの

になっていきました。


ある日 彼が自宅で眠っていて

ふと 目を覚ますと

奥さんの背中が目に入り

奥さんは彼に背を向けた格好で

床にペタンと座りこんでいて

その肩は震えていて

彼は不思議に思い 声をかけたら

奥さんは振り向いて

その顔は

泣いていて

奥さんの手には

私の写真があったそうです。


続く

カルロス・トシキ→岡村靖幸→尾崎豊⑨

私は物心ついてから 自分のことを

「miumiuちゃん」

と言っていました。


小学生になった頃 母親に

「もう自分のことを名前で言うのは

やめなさい。」

と言われました。


それで 私は 自分のことを

「私」

と言おうとするのだけど

どうしても言えませんでした。

「私」

と言うと 自分が 自分を

女の子だと思っていることに

なるわけで


自分が女の子だと思うと

気持ち悪くて吐きそうになるのです。


母親の前で無理して

「私」

と言おうとしたら

「アタシ」

になってしまい


「やめなさい

そんな下品な言い方!!」

と怒鳴られました。


じゃあ 自分は 男の子なのか

と考えたら それも違ってて


でも 試しに 自分のことを

「僕」

と言ってみたら


吐きそうにならなくて

「私」

と言うより しっくりきたので


私は小学校時代はずっと

自分のことを

「僕」

と言っていました。


母親は最初は

「何ふざけてるの。」

と言いましたが

そのうち気にならなくなったようで

何も言わなくなりました。



父親は たまに会うと

私に洋服や綺麗な装飾品や

キレイな小鳥を

買ってくれました。


当時 私の住む街で

一番の高層ホテルの

最上階のレストランで

綺麗なケーキを食べさせてくれました。


お父さんと会うときは

もちろん「僕」なんて言いません。


フラワーフェスティバルを

ホテルの最上階から見下ろして


ごった返す人の波も

色とりどりの花も 風船も

小さくて

お父さんは景色も見ずに

新聞を読んでて


色とりどりのケーキが載った

大きなワゴンを

ウェイターさんが

音もなく押してきて


私は どれにしようかなって

たくさんのケーキの中から

ひとつ選ぶのが楽しくて


選んだケーキを

ウェイターさんが

お皿に載せてくれると

もう全然楽しくなくて

退屈で


なんでお姉ちゃんは

いつも来ないんだろうって

考えながら

たいして美味しくもないケーキを

食べていました。


お父さんに話しかけようにも

お父さんと私の間には

新聞という壁が立ちはだかり

愛想なしのぺらぺらの粗末な紙が

子供の私には鉄の壁に見えました。



なんでお姉ちゃんは来ないんだろう


それは 母を気遣っていたから。


父と母は別居していて

たまに父はやって来て

私と姉に

「お出かけしよう。」

と言いました。


私は嬉しくて父に飛び付く。

姉は迷ってるような

困ってるような顔をして

「私は家にいる。」

と言いました。


母が一人ぼっちになるから。

一人ぼっちになった母は

きっと荒れてしまうから。


私は判っていました。

でも知らないふりをしました。

たまには私が

「今日は行かない。家にいる。」

と言えば

姉は父と出かけたかも知れない。

でも私は言えませんでした。


やっぱり

姉は 優 で

私は 劣 なのです。


でも姉はきっと

父を喜ばすことはできない。

姉は常に母のことを

気にかけているから。


年末に私は

父の家に泊まりに行きました。

冷蔵庫を開けたら

大きなケーキの箱がありました。

中を見ると

クリスマスケーキでした。


私は思い出しました。


クリスマスに電話が鳴り

母が出ました。

私は父からだと思い

電話のそばに駆け寄ったら

母は 穏やかではない口調で話し始め

一気に捲し立てる口調になり

父を責め 電話を切ってしまいました。


「いつもほったらかしの癖に

こんな時だけ

子供にいい顔しないでよ!!」

みたいなことを言っていたと思います。


父はあの時 姉と私に

ケーキを届けたかったのです。


私は 誰にも食べられることなく

ダメになったケーキを見ながら

母はなんでいつもいろんなことを

絶妙のタイミングで台無しにする

なんて嫌な女なんだろうと

思いました。


クリームを指ですくって舐めると

大丈夫そうだったので

「お父さん、このケーキ食べていい?」

リビングでテレビを観ている父に言うと

父は慌てて走り寄って来て

「それは食べちゃ駄目だ。

お父さん忙しくて届けられなくて

ごみの日に出しそびれて

そのまま入れてあるものだから。」

母のことには

決して触れない父を見て

母への嫌悪感が増す。


私に与えられたクリスマスは

母親に検閲された

クリスマス。


なんて嫌な女なんだろう。

なんて嫌な女なんだろう。



人間が物心ついてから

初めて知る女性は母親。


私はそれがあんな人だったから

私は女性が嫌なのだろうか?

自分が女性だと

認めたくないのだろうか?


それともうひとつ

思い当たることがあります。


母は家で仕事をしていて

家のことが

疎かになることが当然ありました。

幼い頃 テレビがずっと

つけっ放しになっていて

私は映画の

女性が男性に暴行されているシーンを

うっかり見てしまったのです。


映画の中の女性は

母と同じくらいの年齢に見えました。


汚ならしいのは

暴行している男性のはずなのに

私は暴行を受けている女性の方を

汚ならしいと思いました。


汚ならしい女だから

汚ならしいことをされるのだ。

女というのは汚ならしい体をしていて

だから男に

こんな汚ならしいことをされるのだ。


そんな風に思った記憶があります。


私はある時

いつものように父と会っていて

街を歩いてる時に

男の子のスカジャンが

売られているのを見て

我慢できなくて 走り寄って

スカジャンの袖を掴むと

勇気を出して言いました。


「お父さん これが欲しい。

これが着たい。」


父は意外とあっさり買ってくれて

それを着た私を見て

嬉しそうにわらいました。


それから父は

ホテルのレストランではなく

男の子の格好をした私を肩車して

市民球場へ野球を観に行くように

なりました。


父は姉が生まれた後

次は絶対男の子が欲しいと思っていて

でも私が生まれたから。


この頃いつも思っていました。

どうして私は

男の子に生まれなかったのだろう。



十代の頃

音楽番組を観るのが好きで

深夜に眠れないときとか

ふとテレビをつけると

PVをランダムに流す音楽番組とか

やっていて

それをぼんやり観ているのが

好きでした。


私がふとテレビをつけると

いつも不思議なほど

出てくるアーティストがいました。



岡村靖幸さんです。



初めて観たPVは


「19」


私はこのPVも 歌も


岡村靖幸という人も


嫌でたまりませんでした。


テレビ画面の向こう側から

嫌らしい視線でこちらを見つめて


おまえは女なんだ

おまえは嫌らしい女なんだ

おまえがどれだけ嫌がっても

男からしてみれば

立派な性の対象なんだ


そう繰り返し言われ続けている

気持ちになりました。


思春期独特の潔癖さや

自意識過剰さも手伝って

当時の私には耐え難いものでした。


けれどテレビを切ってしまうことが

できなくて

いつも最後まで観ていました。


その後も音楽雑誌でよく見かけ

独特なヘアスタイルと

ファッション

ナイフのような鋭い目つき。


この人は何が言いたいの?

女性を何だと思っているの?

私は何でこの人に

こんなに心をかき乱されてしまうの?


敢えて楽曲を集めて聴くことは

しなかったけれど

テレビや雑誌で見かけると

何故?

という気持ちで

何故?

を解明したくて

熱心に見ていました。


あれから二十年以上経った今

最近思うのは

岡村靖幸さんや

岡村靖幸さんの世界は

私にとって

シャガールの絵と同じだということ。


私は十代の後半から二十代にかけて

シャガールの絵に惹かれて

画集やアートポスターを集めて

よく観ていました。

二十代後半に

シャガール展に足を運んだときに

気に入ったリトグラフがあり

リトグラフは手に入れやすいこともあり

購入しました。


一般的に

注目された作品ではないのですが

私にはとても価値があるものでした。


それから 今も 毎日

そのリトグラフを目にして

生活をしているのですが

ふと思ったのです。


岡村靖幸さんだと。


シャガールの絵は

人間の幸福や 誇り

愛と 喜びと 悲しみ

華やかさや 素朴さや


美しいものも 美しくないものも

確かなものも 儚く消え去るものも

未来も 現在も 過去も

望郷も

夢も 希望も

喪失も

過ぎ去った時間も

全てが描かれていて

美しくて 悲しくて

いとおしくて

だけど ものすごく

泥臭い

それが一緒くたになって

苦しみや 怒りや 憎しみは

より深い

悲しみや 愛に変わり

祈りになって

天に立ち上っていくような

泥臭さは

可憐な純粋さ


私にとって そんな絵で

岡村靖幸さんも私にとって

同じなのかもしれない。

岡村靖幸さんの

ここ数年のダンス

祈りのように感じるのは

私だけでしょうか。



シャガールが描いた

人物の大きな手

大きな手は 愛そのもの。


岡村靖幸さんは手の大きな人ですね。

シャガールの絵の中に

綺麗に溶け込んでしまいそうな

そんな人に見えます。


今の岡村靖幸さんは

心の奥にある扉を

しっかりと固く閉めた上で

開かれていて

それが見てとれる度

私はもの悲しくなります。




あれだけ自分が女であることを

拒んでいた私は

いつ 女であることを

受け入れたのだろうと

不倫をしていた時 ふと 思い

なんだか 笑ってしまったのです。

そして思ったのです。


岡村靖幸さん あなたが言ってた通り

私は 女でした。

嫌らしい女でした。

だけど認めてしまった今の方が

あの頃より ずっと

生きやすくも感じる。

だから これで いい。


つづく

カルロス・トシキ→岡村靖幸→尾崎豊⑧

 

1993年は嫌な年でした。

 

短大生の時に知り合った

大好きな人と

別れました。

 

梅雨が来て雨が降って

そのまま雨は

夏の間も降り続けました。

異常に雨の多い年でした。

 

時折止んでも曇り空で

私の心の中のようでした。

 私はどこを歩いていても

彼を探していました。

 

 家に帰ると

自室の電話を見つめていました。

 

 電話が鳴って

 出たら彼の声がして

 「今から会いたい。」

 そう言って以前のように

戻れるんじゃないかと。

 

 私は彼でなければだめでした。

 彼と初めて言葉を交わした瞬間から

わかっていました。

 

初めて会ったのに

ずっと会いたかった人だと思いました。

  

私はあの 口論をした営業マンと

付き合い始めました。

 

 あの後何度か食事に誘われ

仕事の話をしていたのに

そうなりました。

 彼は一回り年上の

妻子ある人でした。

私は不倫をしてしまいました。

 

私と彼がいる部署に常務が

常務取締役兼営業部長

として着任しました。

 

役員室にいれば

秘書が常務の細々した雑務や

身の回りのことなど 

お世話をするけれど

こちらではする人がいなくて

新人の私が

常務のちょっとしたお世話をするよう

上司に命じられまた。

 

時折

仕事中に視線を感じてふと見ると

常務が私をじっと見ている時がありました。

私は 常務の所縁の誰かに

似ているのだろうか?

結局最後までわからないままでした。

 

1994年

 

不倫というのは本当にたちの悪い恋愛で

続けているうちに

純愛と錯覚しそうになります。

 

当時は携帯電話も持っていないので

会うのが大変でした。

 

社内で人目を忍んで

今日は会うとか

今日は会えないとか

伝え合って

いつもの喫茶店で私は待ちます。

 

彼のほうが仕事が終わるのが遅いから

私は7時くらいから待ち始めて

8時とか9時まで待ちます。

 

彼に急な接待が入ったり

上司から飲みに誘われて 

断れない場合は喫茶店に

電話を入れてくれることもあったけど

できないことも多く

 

そんな時 私は 

喫茶店を出ようとするけれど

私が店を出た数分後に

彼が来たらと思うと 

後10分、もう10分と

待ち続けて

待ちくたびれて

喫茶店を出るのです。 

そんな時は

家に帰らず しばらく

街の人混みの中をブラブラと

歩いていました。

 

自分がどこに行けばいいのか

自分が何をしたいのか

わからずに。

 

人混みの中を歩いていたら

今にも彼が

「待たせてごめん。」

と 後ろから

私の肩を叩いてくれるのではないかと

そんなことを期待しながら

歩いていました。

 

でも そんなことは

一度もありませんでした。

 

この頃 街を歩いていると

よく尾崎豊さんの歌が流れていました。

 

I  LOVE  YOU  

とか

 OH  MY  LITTLE  GIRL

とか。

 

私は歩きながらぼんやりと思う。

 

 死んじゃうと

ずいぶんありがたがられるんだね。

不思議だね。

歌が一人歩きしてる。

 

カラオケに行くとね

男の人があなたの歌を歌うの。

そして 私に聞くの。

尾崎の歌で 何が好き?って

だから 私は答えるの

大好きだった歌。

そしたらね

 

なに?それ。

わからないって。

 

そしたら 私は

 悲しいような 嬉しいような

気持ちになってね

 

あなたのこと どれだけの人が

解っていたのかな?

私も解っていなかったよね。

 

私はこんなに若くて

自由なはずなのに

全然自由じゃないの。

 

どこにでも行けるはずなのに

どこにも行けないの。

 

どこに行けばいいのか

何をすればいいのか

わからない。

 

本当は 好きなのか

好きでないのかも

わからない人にすがって

 その人に

こっちだよって言ってもらって

なんとなく生きてる。

 

私は 私を

どこに置いてきたんだろうね。

 

あなたの歌を聴いていた頃

私は私だった。

 

自分を見失わないように

必死に守ってた。

 あなたの歌を聴きながら

祈ってた。

 

あなたの歌のような

美しい世界で

生きていけるように。

 

 あなたの歌のような

美しい世界を

手に入れられるように。

 

なのに今 私のいる世界は

薄汚れてる。

 

あの歌 聴いてみようかな。

そしたら

あの頃の気持ちに戻れるかな。

 

 けれど すぐに

その気持ちを打ち消す。

 わかっているから。

あの頃の気持ちには戻れない。

そのことが

私を何よりも深く

傷つけることも。

 

半年ほどして

常務は営業部長の役が解かれ

役員室へ戻りました。

もともと

営業部がある大きなプロジェクトを

抱えていて

常務はそのチーフとして

また お飾り的な 顔 として

こちらにいたので

プロジェクトが無事遂行され

任務完了で戻っていったのです。

 

けれど

私が胸を撫で下ろしたのも束の間

今度は私に辞令がおりたのです。

 

総務部 役員室への着任を命ず。

 

私は不倫をしていた彼とは

違う部署に異動になり

そこで

私と彼のことが露見してしまいます。

 

今思えば 露見したことは

私を安全な場所へと

導いたと思います。

泥沼にはまり込む前に。

 

続く

 

 

                  

 

 

 

 

 

 

カルロス・トシキ→岡村靖幸→尾崎豊⑦

私は 短期大学に入学しました。

自宅から通っていましたが

離れて暮らす父の会社に

近い学校だったので

よく父に会うようになりました。

私は父の方が一緒にいて

安心できました。

父は自分の娘に対して

心配性ではあったけれど

過干渉ではありませんでした。

ひとりっ子の母とは対照的に

父は11人兄妹の

大家族で育った人でした。

上昇志向の高い人で

仕事人間で

娘達のことばかり考えている人では

ありませんでした。


離れて暮らしていたこともあり

少し年齢を重ねた私にとって

理想的な距離感でした。


母とも以前よりはうまくやっていました。

その起因として

私が母の言動に

振り回されなくなったことや

母が機嫌良く過ごすために

すべき、言うべきいくつかのことを

私が習得したこともあると思います。

また 父と母は長年に渡り

親族を巻き込んで

壮絶な争いをしていたのですが

年月の経過とともに

和解する方向になっていったことも

あると思います。


私はごく普通の

学生生活を送っていました。

講義を受けて バイトして

合コンに行って。

短大で 大好きな 女友達が

二人できました。

毎日一緒にいても

もっとずっと一緒にいたいくらい

大好きな 女友達。


バイト先の仲間にも恵まれ

バイトの休みには

キャンプしたり

海へ行ったり。


誰も彼もが私に優しかったのです。

誰も彼もが

私を大切に扱ってくれました。


優しい人に囲まれていると

人は優しくなれるもので

私は誰にでも

優しく接することができました。

あの母親に対してさえ。


短大一年の夏に

好きな人ができました。

合コンで知り合った人でした。

会って少し言葉を交わしただけで

激しく惹かれました。

会って少し言葉を交わしただけで

「私は明日にはこの人のことで

身体中がいっぱいになっている。」

そう思いました。


彼は四歳年上の大学生でした。

彼は私に好意を示しました。

彼はいつも私に会いたいと

電話をしてきました。


私はいつも彼に会いました。


彼は私を

他の男にとられたくないと言いました。


でも 私のことを

好きとは言いませんでした。

私は気づいていました。


彼には他に

付き合ってる人か

会ってる人がいることを。


私は構わないと思いました。

私が欲しいのは

彼の 私への気持ちだけだと思いました。

私は 私なんていりませんでした。

彼が私に会いたいと思う

気持ちだけで十分でした。


私の気持ちなんて どうでもいい。

私の気持ちがあるとしたら

それは 欲 だから。

彼を自分だけのものにしたいという

欲。

私の彼への気持ちを

そんなもので汚したくない。

そんな汚い気持ちを持った女だと

彼に思われたくない。

そう思っていました。


会うときはいつも

彼のアパートでした。

他の女の人の髪の毛が落ちていても

知らない顔して

彼には常に優しく接していました。


彼の好みの服を着て

彼の好みの髪型をして

彼の好みの化粧をして


今思えば

この頃 私にはもう

彼を好きという気持ち以外に

自分はどこにもありませんでした。


短大二年になりました。



その日

バイトが終わって

夕方自宅に帰り

テレビのニュースで

尾崎豊さんが

亡くなったことを

知りました。

私は ぼんやりとしていました。

私は ほっとしていました。


尾崎豊さんが

苦しみから解放されたことに。

彼の時間が止まったことに。

私にはわからなかったから。

彼がどうすべきなのか。

私は

尾崎豊さんの

前にも後ろにも

もう道はないように見えていたのです。


同時に私は激しく傷つき

打ちのめされてもいました。

一滴の涙も流さない自分に。


その夜私はベッドの中で

暗闇の中 目を見開いて

ずっと考えていたのを

覚えています。

流されるべき 私の涙の

在りかを。

わからないまま

朝を迎え

私はそっと目を閉じました。


一瞬 尾崎豊さんの姿が浮かびました。

裸で 体を小さくまるめて

横たわる彼。


彼は 帰って行ったのだと思いました。

母親の子宮の中に帰って行くように。

彼が 彼のままでいられる場所に。

ー これでよかったんだ ー


私は 眠りにつきました。


淡々と日々は過ぎていきました。

私は就職活動をしなければ

なりませんでした。

私は母の勧める

母の仕事の縁故である

企業に就職を決めました。

母は満足そうでした。

仕事なんて なんでもいい

私はそう思っていました。

流されていればいい 抗わず。

そうすれば

なんの問題も起きないのだから。


卒業 就職

研修を終え 配属先が決まり

仕事を覚え 時間は過ぎていく。

私は 企業の花形といわれる部署へ

配属されました。


出世欲に燃えている

営業マンというのを

毎日 目の当たりにしていて

ある意味 息苦しい部署でした。

ある日 一人の営業マンが

私に言いました。

「miumiuさんは常務の親戚なの?」

私は驚いて

「違います。」

と答えました。

また別の営業マンは

お酒の席で酔って

「miumiuさんは常務の愛人なの?」

と言いました。

母の縁故で就職しましたが、

常務とはなんの関係もないはず。

縁故とはいえ

試験も面接も受けているから

どこかで会っているかもしれないけれど

私には顔すらよく知らない人でした。

私は 困惑していました。

私の知らないところで

何かがあるのだ と思いました。

企業というのは

そういうものなのだと。

私は気持ち悪さや

居心地の悪さを

感じていました。

けれど 私は

社会から落ちこぼれたくなかった。

どんなものにも

順応していける人間に

なりたかった。

私は必死になっていました。

つまづいたら 転げ落ちる。

ものすごく 張り詰めた心で

毎日仕事をしていました。


そんな中 大好きだった

4歳年上の彼と別れました。

別れたと言っても

私たちは付き合っていたわけでなく

ただ ひたすら 会っていただけの

関係でした。

でも友達関係ではありませんでした。

男女の関係でした。

彼は私のことが解らないと言いました。

もう会わないと彼は言いました。

今思えば、当然かもしれません。


彼からしてみれば

自分に他にも女性がいることに

気づいているだろうに

気づかないふりして

いつも 平気な顔して

にこにこ笑ってる女

そんな女を

本気で愛していいのかどうか。


数ヵ月前 彼が 突然

オープンハートのネックレスを

プレゼントしてくれました。

そしてこんなことを言いました。


「付き合うと

別れてしまうかもしれないし

別れてもう会えなくなるくらいなら

このままでいいのかなって

思ったりする。」


私は 「そうだね。」って

にこにこ笑っていました。


彼は私の気持ちを探っていたのです。

私はあの時言えばよかったのです。

「私はあなたが好き。

他に女の人がいるなんて 嫌。

別れてもう会えなくなるのは

嫌だけど それでもあなたと

ちゃんと付き合いたい。」


私にはそれができなかったのです。

彼を縛ると

離れていきそうな気がして

恐かったのです。

欲深い女と

思われたくなかったのです。


私は彼と別れて

本当になんにも

なくなってしまいました。



私は仕事に没頭していました。


ある日 ある営業マンと

口論になってしまいました。

私は 自分の立場を守ることに必死な

融通の利かない社員で

彼は少々 融通を利かせ過ぎな

営業マンでした。

私は 一歩も引きませんでした。


後日その営業マンから

「今日 仕事終わったら ちょっといい?」

喫茶店で待っているように

言われました。

待っていると彼はやって来て

私を小さな居酒屋に連れて行きました。

常連客ばかりがいるような

小さめの

でもとても繁盛しているお店でした。

彼は瓶ビールを頼んで私に

「さぁ飲んで飲んで」

とビールを注ぎな がら

ボソッと

「こないだは悪かったな。」

と言いました。

「いえ 私の方こそすみませんでした。」

私が言うと

今度はおどけたように大きな声で

「もー俺 忙しくて 機嫌 悪くて

悪くて ほんっとごめん!」

と言いました。

彼は私に

「常務の愛人なの?」

と言った営業マンでした。


彼は 自分のことを

話し始めました。

今の部署に来る前は

営業所にいたこと。

そこで所長と反りが合わず

やり合ってしまい

僻地の部署へ飛ばされそうになったのを

常務に拾われて

営業の花形である今の部署に

送られたこと。

私に 「愛人なの?」

と聞いたのは

役員と営業の男性社員が

ゴルフをした時に常務が

「4月にお前らの部に

いい娘が来るから。」

と 意味深に笑って言ったからだと

言いました。


「だからあの時あそこにいた人は皆

miumiuさんのこと

常務と何かしら関係のある人

と思ってるんじゃないかな。」


「私は常務になんの心あたりもない。」

私は力なく言いました。


「でももうすぐ来るよ 常務。

俺らの部署に。

常務取締役兼営業部長の肩書きで。

だからmiumiuさんを今の部署に

配属したんだよ。

自分が後から行くつもりで。

俺についてもそうだけど。」


私は 自分の意思や 努力に関係なく

水面下で動く力というものに

押し潰されそうな気持ちに

なっていました。


続く






カルロス・トシキ→岡村靖幸→尾崎豊⑥

高校生活で印象に残っていること。

入学してすぐ、ある部活を始めました。

同じ中学出身の女友達二人と

私との三人で入部しました。

入部してすぐ私は

その 一緒に入部した 女友達二人から

シカトされました。

女友達二人のうちの一人は

大の親友でした。

少なくとも私はそう思っていました。

シカトの理由は

私が部活の先輩に

目をかけられたからだと知りました。

私は部活を辞めました。


バイト先に他校の男の子が入ってきました。

それまでバイト先に男の子はいませんでした。

その男の子はバイトが終わると

私を家まで送りたがったり

私の高校に友達がいるらしくて

その友達に

私のことをあれこれ聞き出しているらしく

少し困っていました。


そのうち私は ある理由で

急にバイトを辞めることになり

男の子にそのことを告げることなく

辞めました。


それからしばらくして

私は入院していました。

脚を痛めて手術をすることになったのです。

病院で退屈な時間を過ごしていると

高校で同じクラスの女友達が

やってきました。

その子は私と同じ所で

バイトしていた子でした。


「あいつ来てるんだけど。

中に入れてもいい?」


突然言うので、よく意味が解らず

廊下の方を見ると

あのバイトの男の子が

不自然に下を向いて立っていました、、、

真っ赤なバラの花束を握りしめて。


彼は高校生であるにも関わらず

タバコは吸うし

学校で禁止されている

原付バイクに乗るし

夜は居酒屋でもバイトしてるし

けれど

バイトの仕事ぶりは真面目で

学校の勉強も手を抜いていないようで

テニスも一生懸命やってて


当時の言葉で言うなら

軟派なのか 硬派なのか

よくわからない人でした。


ただ バラの花束を握りしめて

不自然に下を向いている姿に

少し心が動きました。


中に入ってもらって

花束を受け取って

綺麗だなって バラを見ていたら


「お前がバイト辞めてから

何度も家に電話したんだけど

取り次いでもらえなくて。」


彼が ボソッと つぶやくように言いました。



私はその言葉を聞いた途端に


彼を好きになったのか

彼を好きになろうと決めたのか


どちらだったか覚えてないけど

そんな気持ちになりました。


私の母が 彼からの電話を取り次がず

そのことを私に隠していたことを知り

私が彼を好きになったら

母は どれだけ嫌な思いをするだろう

そんな思いが一瞬 頭を過りました。


母への仕返しのような気持ちが

なかったとは言いきれません。


でも それだけではなく

彼の持っている何かに

惹かれはじめてもいたと思います。

程なくして

私は彼と付き合い始めました。


休みの日は バスに乗って遠出したり

普段は 放課後 公園で待ち合わせをして

公園の階段に並んで腰かけて

他愛もない話をしていました。


私は 家族ではない男の人が

私のことを好きだと言ってくれて

私を必要と思ってくれている

そのことに

とても気持ちを支えられていました。


劣、劣、劣、数え続けて

私に染み付いてしまった劣等感が

少しずつ消えていくような

そんな気持ちでした。

彼のことをどれだけ好きだったか

そう聞かれたら

よくわからなかったと思います。


結局 楽しい時間は

そんなに長くはありませんでした。


彼は今の関係から

もう少し先に進みたいと言うようになり

私は どうしても

それができませんでした。

こんな 危なっかしい

不安定な

16歳と17歳という年齢の男女が

体の関係を持つことは

私には 絶対に考えられませんでした。

意味が解りませんでした。

話し合っても

平行線を辿るだけでした。


そして どちらが言うともなく

私たちは別れました。

高校二年の秋でした。


続く

カルロス・トシキ→岡村靖幸→尾崎豊⑤

それから


それから私はどうなったのだろう。


何をしていたか


細かいことは


あまり記憶がないのです。


ただ私が考えていたことは


覚えています。



私は 尾崎豊さんの歌がすきでした。


私にとって


尾崎豊さんの歌は


彼の中から生まれてくるもの


彼の苦悩 切なる思いが生み出す


祈りの歌でした。


そう 私は祈っていたのです


彼の歌を聴きながら。


けれど


私は思い始めました。


歌が彼を追いつめる


歌が彼を苦しめる


生まれない歌の代わりに


作りだすの?



生まれてこないなら

作らないで


生まれてこないなら

作らせないで


彼を傷つけないで

誰も


自分を傷つけないで

血を流さないと

生きてるって

思えないの?


そんなのおかしいよ。


あなたはあなたでしかないのに

あなたがあなたでなくなる。


くるしいよ。


私は

もう


あなたの歌は聴かない。



それから



尾崎豊さんの歌を聴くことを


やめました。


受験勉強をして


息抜きにラジオを聴いていました。


中学を卒業して


高校に入学して


それから「太陽の破片」が


リリースされました。


テレビやラジオから流れてくる


彼の歌。


私は意識的に


聴かないようにしました。


そのうち


彼の歌が聴こえてきても


何も感じなくなりました。


苦しくありませんでした。


私の心は


鉄のように硬くなっていきました。


ただ


彼の歌を聴いても


何も感じなくなった


今の自分を


昔の自分が


どこかから見ているような気がしました。



尾崎豊さんは

世間では

完全復活といわれていました。


その後も彼はコンスタントに


歌を作り続けていたと思います。


けれどそれらの歌は私にとって


歌ですらありませんでした。


それは尾崎豊さんの


命でした。


彼は


自分の命を切り売りして


歌を作っているようにみえました。



ー 死んでしまう ー


このままでは

彼は死んでしまう


そう 思いました。



その頃 私はよく


尾崎豊さんの夢をみました。


彼はいつも静かに泣いていました。


私は問いかける。


くるしいの?


彼はただ静かに泣いていました。




私は高校に通い


休みの日は早朝から


日が暮れるまでバイトをするという


生活をしていました。


バイトするって母親に言ったら


母親は泣きながら


わぁわぁ何か叫んでいました。


けれど関係ありませんでした。


硬くなった心は


ある意味 強かったのです。



バイト料は


アルバムや ライブチケットや


ライブに行くときの洋服や


そんなものに消えていました。


当時 私が 追いかけていたのは


地元出身で まだ駆け出しの


UNICORN


そう 奥田民生さんでした。


尾崎豊さんの歌を聴かなくなって


ラジオを聴いていると


よくUNICORNの曲が 流れてきました。


奥田民生さんは 地元FM局で


ラジオのレギュラー番組を持たれてて


私はそれを聴いていると


とても楽しい気持ちになれました。


奥田民生さんに興味をもったのは


彼が尾崎豊さんと同じ


1965年生まれだったから。


そして


奥田民生さんは


尾崎豊さんとは


全く異なる生き方をしている人に見えたから。


当時の奥田民生さんには


確固たるビジョンがありました。


今では考えられませんが


当時の奥田民生さんは


地元FM局のラジオ番組で


それを大いに語っておられました。


もう 細かい内容は


忘れてしまったけれど


それはかなり具体的だったと思います。


まだ無名といえなくもない


若いミュージシャンが


自分は必ずビッグになる


仲良くなりたい有名人の名を


実名で挙げ


その人たちと肩を並べる人間に


自分は なるのだと


声を大にして言うのです。


私は奥田民生さんの


無邪気で 強かで しなやかで


ひたむきともとれる その性質を


好むようになりました。



JITTERIN'JINNの曲も


よく聴いていました。


メンバー全員が無表情で


淡々としているところが


とても気に入っていました。


何も考えずに


リズムにのっていると


心地よくて


ライブにも行きました。



地元アマチュアバンドの


コンテストにも


よく足を運んで


お気に入りのバンドを見つけて


応援していました。



今思えば


当時の私は


ありとあらゆる


いろんなものに流されて


のみ込まれる生き方に


自分を馴らしていました。



そんな夏が終わり


ひとつの節目が来るのです。


延期に延期を重ねた


尾崎豊さんのアルバムが


リリースされました。


予約をキャンセルしなかったのか


できなかったのか


覚えていません。


私は学校の帰りに


レコード店に寄って


アルバムとポスターを受け取り


帰宅しました。


私は


自室で 制服のまま


床に座り込み


ポスターを少し見つめて


そして


破って捨てました。


アルバムは聴かずに箱に入れて


どこかへしまいました。


私は


尾崎豊さんの生き方を


忌み嫌っている自分に


気づきました。


尾崎豊さんに


苛立っていました。


そして


私は 私の中から


尾崎豊さんを消し去りました。


あれほど愛した


尾崎豊さんの歌を


私は自分で


消し去りました。


もともとそんなもの


私の中には なかったかのように。



続く
























カルロス・トシキ→岡村靖幸→尾崎豊④


私は

尾崎豊さんの歌と

私だけの

小さな世界の中で

自己完結しながら生きていくという術と

その心地良さを覚え

次第に落ち着いていきました。


母親が私に投げつけてくる

言葉 感情

どこまでも満たされない人間独特の

嫉妬や憎悪 罵る言葉 ヒステリー

以前の私はそれらを前に立ちすくみ

バシバシと体にぶち当たる痛みに

耐えきれず踞っていました。


けれど次第に私は

それらを受け止め

受け止め切れなかったものは

後で丁寧に拾い集め

じっと見つめるようになりました。


鬱屈とした気持ちは

日記に書き、 読み返し

まるで第三者のような目線で

自分の周りの出来事を

見つめていました。

日記は尾崎豊さんへの手紙のように

書いたりもしていました。


今思えば私のそれらの行為は

閉ざされた

自己完結的な 小さな世界の中での

私の 成長 進歩 後退 変化

どれなのかわからないけれど


私が自らの意思で

自分の中から尾崎豊さんの存在を消し去る

前触れだったのです。


尾崎豊さんはその頃

ニューヨークにいたと思います。

私は m3(mind map members)という

尾崎豊さんのファンクラブから届く

封書を心待ちにしていました。

尾崎豊さんがニューヨークからファンへ

メッセージをくれたのを覚えています。


中学三年生になった私は

進路を考えなければなりませんでした。

母親のもとから逃げ出したいばかりの頃は

高校進学をせず家を出るか

遠くの高校へ進学して寮に入るかと

考えたこともありました。


けれど自宅から通えるところに

尾崎豊さんの

初期のマネージャーを勤めた方の

出身高校があり

そこを志望校に決めました。

音楽活動をしている人がわりと多くて

自由な校風といわれる高校でした。



その初期マネージャーの方は

尾崎豊さんの親友でもあり

尾崎豊さんを支えた一人であり

私の憧れでもありました。


中学校では私は

仲良しの女友達がいて

四人グループで

みんなそれぞれ好きなアーティストがいて

その話で盛り上がるのが

とても楽しかったのを覚えています。


尾崎豊さんがニューヨークから帰国して


その仲良し四人で出掛けたのが

HIROSHIMA1987-1997

ピースコンサートでした。


コンサートに行くことを

許してくれない母親を

説得するのに苦労した記憶があります。


けれど

不思議なことですが

母は というか

母も

尾崎豊さんの歌を

好きでした。


私がベッドホンで聴いていると

自分にも聴かせてほしいと

言うのです。


私の父が尾崎豊さんの歌を

「あんなものは歌じゃない。」

と言った時 真っ先に反論したのは

母でした。


コンサートの収益は

原爆被災者への寄付金という

チャリティーコンサートだったこともあり

母は行くことを承諾しました。

私の父親と母親は

被爆者手帳を持つ人でした。



初めて出かけたコンサート。

初めて見る尾崎豊さん。

二階席で距離は遠かったけれど

眩し過ぎるくらいのライトに照らされて

ステージに浮かび上がる尾崎豊さんを見ました。

雑誌でなど、写真で見るよりも

子供っぽい人で驚きました。

陽気で明るい人

でもやっぱり悲しそうな人。

そう思いました。



岡村靖幸さんのステージに

尾崎豊さんが飛び込んできて

後に夢の共演と言われる

あのステージ。


二人がまるで犬のようにじゃれ合っていて

微笑ましいというか

ふたりは仲がいいんだな

と思いました。


岡村靖幸さんはデビューしてから

そんなに経ってなくて

まだ知名度は低かったと思います。


尾崎豊さんがそんな岡村靖幸さんの

ステージに飛び込んできたことにより

岡村靖幸さんは

岡村靖幸を知らない人からの

注目や関心を一気に集め

知名度を 想定していた以上に

上げたのではないかと思います。


尾崎豊さんはやっぱり

心優しき優等生だな と

思った記憶があります。


その後の尾崎豊さんは

アルバムの発売が何度も延期され

私はレコード店でその知らせを知っては

不安な気持ちになっていきました。

ツアーが中止になったりもしました。



そして 尾崎豊さんの逮捕のニュース。



私は驚き 動揺しながらも

「学校へ行かなくては。」


と思い

なんとか中学校までたどり着いたものの

教室に一歩入った途端に

クラスの子達から

尾崎豊さんの逮捕の話を振られ

その場に泣き崩れたのを覚えています。


人目もはばからず

せきをきったように泣く私に

クラスの男子は

「訳わかんねぇ この女。」

と言いました。


ー 私だって訳わかんない ー


突然襲ってきた出来事に


私は訳もわからず


ただただ 泣いていました。



続く