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カルロス・トシキ→岡村靖幸→尾崎豊③


尾崎豊さん


尾崎豊さんのことを思い出したり

言葉にしようとすると

大抵うまくいきません。

この記事は支離滅裂なものになるかもしれないけど

それでも書いてみようと思います。


尾崎豊さんの歌との出会いは


私が13歳の時だと思います。


当時の私はとてもつらい環境に置かれていました。


つらい環境とは


家庭環境がよくなかったこと。


幼少期から異常に

母親との折り合いがよくありませんでした。

母親はかなり偏った思想や価値観の持ち主でした。

父親と離れて暮らしていたため

私は多感な時期を

その母親のみの監視下に置かれ

養育されました。


私の母はひとりっ子で


両親の望む学校に行き

両親が決めた職業に就き

両親が決めた相手と結婚した人でした。


両親の望みを叶えるため

自分を徹底的に抑えこんで生きてきた母は

我が子に異常なほど「自分」をぶつけてきました。


その姿は子供の私から見ても、大人とは思えない

まるで餓鬼のようでした。


私はたった13歳。


なんの力もありません。


母親を受け止めることもできず


そこから出て行くこともできず


そこに踞るしかありませんでした。


13歳という年齢の無力さを呪い


自分の無力さを呪いました。



母親は


反りの合わない私に当て付けるかのように


姉を特別扱いしました。


私には姉がひとりいました。


姉はとても優しくて、可愛くて

誰からも愛されるような人でした。


私は、優劣をつけるようになりました。


姉は、優。

私は、劣。


でも私の中で考えた場合、私の中の優があるはず。

けれど 考えても考えても

劣、劣、劣、劣、、、、、


私は劣等生だ。



そんな時、姉が


「友達にカセットテープもらったよ。

すごい曲なんだって。」


そう言って聴かせてくれたのが


尾崎豊さんの「シェリー」でした。



その声は 苦しそうでした。


悲しそうでした。


泣いているようでした。


血を流しているようでした。


13歳の私はこの歌の世界を

どれほども理解していなかったと思います。


ただ、その歌から伝わる苦しみのようなものが

私の苦しみに寄り添ってくれた気がしました。



私は貪るように尾崎豊さんの歌を聴きました。

寝食を忘れるほどに。


私の居場所は変わらない。

けれど私の世界は

私のいる暗くて閉ざされた場所は

逃げ出したいだけの場所ではなくなりました。

そこには尾崎豊さんの歌がありました。


彼の歌しかいらない。


私は暗く閉ざされた世界に

彼の歌と閉じ籠りました。

それはとても素敵な感覚でした。

彼の歌はどこまでも純粋で美しく

私のいる暗く閉ざされた世界をも

美しくしてくれました。



優等生。



尾崎豊さんは私にとって完璧な優等生でした。



心優しき美しき、優等生。



劣等生の私がどこまでも憧れた…



続く